父で先代の大関貴ノ花のなし得なかった横綱への夢を果たすために、自分は父親の「分け身」として人生を歩んだ
中学を卒業と同時に角界入りを果たし、数々の最年少記録を打ち立てた
兄の若乃花とともに「若貴ブーム」を巻き起こし、当時の角界を盛り上げた
第65代横綱、幕内優勝22回を成し遂げた貴乃花光司の半生にせまります
ぶっ倒れそうになってからが本当の稽古
苦しさのあまり、何度も気が遠のいてゆく
40度の高熱が出た時のような、もうろうとした状態で稽古は続いていく
最近ではあまり聞かれないが「ぶっ倒れそうになってからが本当の稽古」という言葉が大相撲にはある
場所中の一番、どんなに長い相撲にも耐えうる力、最後の最後に絞り出す力がそこで培われるのだ
マラソンの瀬古利彦も、自分の力を出し切ってからパフォーマンスできるトレーニングを積んだと言っていたが、本当のトップアスリートがここの力の出し方をを重要視していたのがわかる
姿勢をいかに正すか
引退してすでに10年がたつが私の念頭には常に「姿勢をいかに正すか」という意識がある
正しい姿勢は正しい呼吸になくてはならないもの
相撲で激しくぶつかり合うとき、力士は息を吐いている
激しい衝撃を逃がすためにも、息を吐いていなければならない
入れるばかりで出すことをしないと、体内にはどんどん有害なものがたまっていく
姿勢、呼吸の大切さは何も相撲だけに当てはまることではない
立ち止まっている時間があるなら一回でも多く四股(シコ)を踏む
壁があるなら壊せばいい、壊せなかったら乗り越えればいい
壁の前でウジウジ立ち止まっているのはもったいない
立ち止まっている時間があるのなら、一回でも多く四股(シコ)を踏む
稽古場で苦しめば苦しむほど、本番で苦しまずに済むということは、それまでに体を通じて分かっていた
私は365日、24時間、1分1秒はすべて「相撲が強くなる」ために費やされていた
無欲の境地へと自分を高め
土俵の上では欲は禁物だ
「勝ちたい」「倒したい」という我欲が出た瞬間、精神が濁り、負けを呼び込む
コンマ何秒の判断の鈍りが負けにつながるのだ
どんなに勝ちたい場面でも、自我を抑え、無欲の境地へと自分を高められる者、そういう者だけが相撲の神様に祝福される
日々行う四股、鉄砲、摺足
この単調な基本動作の繰り返し
反復運動に集中すればするほど、打ち込めば打ち込むほど、精神が澄み、無心になっていく
本当に強くなりたいなら、孤独になることだ
入門してすぐ父である師匠に「本当に強くなりたいなら、孤独になることだ」と教えられた
また素直に「それもそうだな」と思った私は、他の力士や部屋の兄弟子たちともほとんど口をきかなかった
仲良くしたければ、引退してからすればいい
現役時代はただ相撲だけに打ち込もうと思ったのだ
そんな私をよく思わない人も当然いた
成人を迎えて、宴席に呼ばれても酒は一切口にしなかった
「相撲のためにならないことはしない」という初心を貫いていた
でも誰にも理解されなくても、私がなぜそうしているか、師匠だけは理解してくれる
それだけで十分だった
不惜身命(ふしゃくしんみょう)
不惜身命
横綱伝達式の口上のために緒形拳から提案された言葉
この身も命も天からの預かりもの
ゆえに自分だけのために使うものではない
大事のためには自らの身も命も惜しまず尽くす
「この身も命も相撲道に捧げよう」
[参考文献]
貴乃花光司「生きざま 私と相撲、激闘四十年のすべて」ポプラ社
コメント