今やブラジルだけにとどまらず世界中のサッカー少年のアイドルでもあるネイマール
ブラジルの至宝ネイマールの成功はいかにして生まれたのか?
ネイマールの父はプロのサッカー選手
ネイマールの父はプロのサッカー選手でした
父からの影響は非常に大きく、幼少期にはボールの蹴り方も足のどの部分を使って蹴れば良いかというテクニックから、相手ディフェンダーの股を抜くシュートに至るまで、父の指導は徹底していました
ネイマールが11歳の時に契約したFCサントスのジュニア時代には、父はすべての試合に帯同したほどの熱心ぶりでした
またプロデビューしてからも家に帰ると、父からの指導を受けるほど、ネイマール自身も父に対して全幅の信頼を寄せており、最高のコーチであるとネイマール自身が語るほどでした
試合後には独自に録画編集したものをネイマールに何度も見せ、データを詳細に分析して、1プレイー1プレーを批評してくれる存在で、ネイマール以上にプレーを熟知していたのでした
家には50個以上のボール
幼い時からネイマールは父のプロサッカーの試合を見に、スタジアムの観客席にいました
また家の中ではサッカーを自由にやらしてもらう環境にあり、家具の間、寝る場所、マットレスなど家の中のどこでもボールを蹴っていたのでした
それはウチの外でも同じで、あるときはビーチ、あるときは近所の家、駐車場、またエレベーターの中でもリフティングをするほどで、『ボールなしでは生きられない!』と本人が語るほでだったのです
漫画「キャプテン翼」の「ボウルは友だち」ではありませんが、ネイマールにとっては「ボールはマブダチ」だったのです
ネイマールのサッカーボールへの愛は異常なほどで、家中に50個以上のボールがあり、自分の部屋に収まりきらず、家のどこにでもボールがあったといいます
ネイマールのハングリー精神
日本のキング・カズ三浦知良のブラジルのサッカー留学中に出てくる話ですが、ブラジルのサッカーはストリートサッカーから始まり「成り上がりたくて」少年がサッカーに励んでいたといいます
子供の時からその才能が認められれば、プロのクラブからバス代が支給されて練習に参加させてもらえるのです
『カズはなんで裕福な日本からわざわざブラジルに来て、サッカーをやっているのか?』
ブラジルで周りの人たちから理由が理解されなかったという話でした
ネイマールの家庭も同様に、電気代が払えずにロウソクの明かりで暮らした時期もあり、このハングリー精神が根底にあったことは間違いないでしょう
11歳でFCサントスと契約、13歳でレアル・マドリードに誘われる
11歳の時にはFCサントスから熱心に誘われ契約し、ネイマールのことのみにとどまらず、家族の面倒までクラブは見てくれる待遇で、迎えられました
母親のパート代金もクラブが面倒をみて、母が専業主婦に戻れ、ネイマールの食事が電子レンジで温めたものから、母が作る温かなものに変わったとのことでした
また13歳の時にはスペインの世界的ビッグクラブであるレアル・マドリーから熱烈な誘いもあり、家族の移住をすべて受け入れてもらえる条件の提示もあったほどでした
常に謙虚であれ
ネイマールの父の教えはサッカーだけでなく、人としての教育にも非常に厳しいものがありました
人生を通じて父が最も大切にしてきたことは「常に謙虚であれ」ということでした
一方で父は、何かに対して「ノー」と禁止することはできるだけしませんでした
「クラッキ(名選手)である以前に、素晴らしい人間でなくてはならない」と教えたのです
ブラジルサッカーに伝わる歓びを伝える「ジンガ」
ブラジルサッカーには歓びを表現する「ジンガ」があるため、見るものを魅了し楽しませます
ネイマール自身もブラジル人特有の動きである「ジンガ」を使ってサッカーを楽しみ、歓びを感じながらプレーをし続けています
父は試合が終わった後に良かった点、悪かった点をいつも批評をしますが
『サッカー選手はいつも幸せに感じていなければいけない』
と口癖のように言っていました
みなさんも、世界中の人々に「ジンガ」で歓びを伝えませんか……
[参考文献]
ネイマール、ネイマールジュニア、マウロ・ベティング、イヴァン・モレー「ネイマール 父の教え、僕の生き方」徳間書店
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