大畑大介 テストマッチ通算トライ数の世界新記録を樹立した男

天才学

大畑大介は日本代表としてのテストマッチにおける通算トライ数の世界新記録を樹立した
両足のアキレス腱の断裂から復活しての現役生活、それもトップリーグ、日本代表でプレーしている不屈の精神を持ち合わせているのだ
身体的にボロボロになりながらも何度も、何度も復活劇を成し遂げていく生きざまを紐解いてみた

チャレンジへのワクワク感

小学校2年生の時、父のすすめで始めたラグビーであったが足が速く誰にも止められないと自負していた

しかし6年生の途中から足のくるぶしが痛くなり身体がゆうことをきかなくなっていった

中学に入り走れないままラグビーを続けていたが、走れないなりにスタンドオフとして周りの選手を使って戦略的にラグビーをすることで、仲間との一体感が生まれ周りを尊敬でき人間が好きになることができた

高校になって尊敬する先輩がひと学年上でスタンドオフをしていたので、このままでは試合に出れないと考え、フルバックにターゲットを絞り、どうしたら試合に出られるか考え、自分に必要なのは「スピード」だと結論した

それからチーム練習が終わってからの自分だけのスピード強化トレーニングに打ち込んだ

スピードを高めるには何が必要か、足腰を強化するにはどうしたら良いか我流で練習メニューを考え、試してみてはまた負荷も上げていき、キツイことをあえて自分に課していった

個人練習は毎日チーム練習後1時間くらい打ち込み、チーム練習でも常にスピードを意識して力を最後まで抜かずに取り組んだ

個人トレーニングを始めて数ヶ月後、校内でのスポーツテストで50メートル5秒9のタイムがでた

一年前のスポーツテストで7秒手前のタイムから1秒も縮めることができたのである

その頃フルバックをやっていた先輩がケガをしたことも重なり、代わりを指名された試合に出られるようになったのである

監督からは「相手のキックを取ったら蹴り返さないで、全部カウンターで行け」と指示を受けた

この時は試合に出れる緊張感より、ワクワク感が身体を貫いていたのだった

 

突破するかは「心」が決める

僕はもともと心が弱い

今と同じ環境で、今と同じことを繰り返していても何も変わらない

違う環境におくかつくるか、違うことをやらなければいまのまま、結果は変わらないのだ

弱いからあえて自分にプレッシャーをかける

大口を叩いて逃げられねいところまで自分を追い込む

生きていれば思い通りにいかないときもある

いかないときの方が多いだろう

だけどそこであきらめるか、突破するかは「心」が決める

「心」が決まれば「体」はついてくる

「技」も「力」も「知」も、その後についてくるのだ

 

今を一生懸命に生きられないヤツに先はない

そもそも「今を一生懸命に生きられないヤツに先はない」というのが座右の銘だ

今を最大限に生きていれば、たとえケガをしようが何だろうが、先につながるはず

だから、身体が動く間は休まず試合に出続けた

その結果としてケガが悪化したこともまったく後悔していない

 

もう一度父に喜んでもらいたい

最初にアキレス腱を切ったとき、父が「こんなスポーツさせてすまん」と謝ってくると言う出来事があった

「身体はもうボロボロなのにその上、こんなひどいケガをしてしまうようなスポーツをお前にやらせてすまんかった」と涙を溢れさせながら謝ってきたのだ

大畑は両足のアキレス腱の断裂から復活しての現役生活、それもトップリーグ、日本代表でプレーしている不屈の精神を持ち合わせているのだ

自分がプレーすることで多くの人に幸せになってもらいたいという思いでプレーを続けている

一番近い人間である家族に悲しい思いをさせているのでは、他の人をを幸せにできるわけがない

このままじゃ辞められない

もう一度父に喜んでもらいたい

 

 

がむしゃらに、ひたむきに相手に向かってゆく心

W杯目前に帰国して4ヶ月後、大阪花園ラグビー場で毎冬恒例の全国高校ラグビーが開催された

テレビキャスターを務めていて、出場校を訪問する番組で高松北高を大会1週間前に訪れた

「うわっ、小さっ!」それが選手たちと会った第一印象だった

大きい選手が揃っているはずのフォワードでも平均身長168センチ、平均体重74キロ

彼らに伝えたことはひとつ「小さいものが大きい相手に勝とうとしたら、ひたむきに低いタックルを繰り返すしかない」というラグビーを始めたときの原点だった

高松北高は一回戦青森北に3対69の大差で敗れた

でも選手たちは体格でも技術でも負けている相手に、がむしゃらに、ひたむきに、相手に立ち向かっていく心を持っていた

「俺は何をしとるんやろ……」

いくら不可能に思えることでも、覚悟を決めて立ち向かえば何とかなるはずだ

諦めるのは簡単だけど、その壁に挑まなければ、その先だって何も見えてこない

高松北の勇気と情熱が思い出させてくれたのだ

 

迷ったときはしんどい道を選べ

数ある大学の中で京都産業大学へ進学を決めたのは、練習の厳しさで有名だったからだ

もともと怠け者で、練習嫌いなことにかけては誰にも負けないと思う

だから選手の自主性を尊重するチームへ行ってしまうと安易な方へ流されてしまうと思った

甘えられない環境に身を置かないと、自分は進歩しない目標を達成できないのだ

もともとは父の口癖だったのだが「迷ったときはしんどい道を選べ」が座右の銘になっていた

 

 

 

 

[参考文献]
大畑大介「不屈の『身体』なぜ戦い続けるのか」文春新書

 

 

 

 

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