2000年シドニー五輪金メダリスト
世界選手権3連覇する
現日本柔道代表監督を勤める
小学4年生で柔道で生きていく
井上は小学校の4年生のときすでに「自分は柔道で生きていく」と当時師匠と仰いでいた父に誓っている
6年生では地元テレビ局の取材で「オリンピックに出場すること」と抱負を語ったのを、自分自身に納得がいかず、取材班に撮り直しを要求し、「オリンピックで優勝すること」と目標を言い直して再撮影している
井上は幼少期から父と二人三脚で柔道に取り組み、このころから「攻めの一本を追い求める柔道」を基本に「攻撃していく柔道」を追い求めている
山下二世と騒がれる
井上はロサンゼルス五輪金メダリスト、8年間203連勝の記録を持つ山下泰裕にずっと憧れ、追いかけた
高校の選択では地元の宮崎から離れ、山下が監督をしていた東海大学へつながる、東海大相模高校に入学した
山下の世代ごとの記録にどれだけ迫れるかを目標にトレーニングを続けたのである
高校1・2年の頃には「山下二世」と言われる程の活躍をし始めた
母からの最後の贈り物
大学3年のとき突然何の前触れもなく、母がくも膜下出血でなくなった
井上はこの突然の死で打ちひしがれていた
宮崎で葬儀が行われすべてが終わり上京する際、母が井上宛に送るはずであった食べ物に同封する手紙を父から渡された
その手紙の最後に「すべて初心に返って頑張ってください」と書き記されていた
井上はこのころ柔道の結果がかんばしくなかった
がしかし、この母からの「初心」という言葉に気づきをもらい「自分は柔道が純粋に好きだった」ことを思い出させてもらった
その「初心」という言葉は井上の座右の銘となり、サインを書くときに書く言葉となった
この言葉が母からの最後の贈り物となった
一本を取りにゆく柔道
柔道の国際化にともなって、ルールの変更があったり、柔道スタイルの変化も激しくなってきた
一本勝ちを狙う柔道より、効果ポイントを積み重ねたり、相手の指導や注意といった反則を誘ってポイントを稼いで勝つ柔道が増えてきた
「自分の理想とする一本を取りにゆく柔道」
それが国際的な柔道の現実と合わなくなってきていた
我が柔道人生に悔いなし
「我が柔道人生に悔いなし」
井上の引退会見で語られた言葉である
自分の人生において「一片の悔い」もなく死ねたらこんな幸せなことはない
途中でやめることはいつでもできる
最後の最後まで諦めずに攻める
1日1日が最後だ
ひとつひとつの試合がもう終わりなんだ
希望がたった1パーセントでもあれば、最後まで戦おう
そのさきに「一片の悔いのない人生」がある
[参考文献]
井上康生「ピリオド」幻冬舎
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