星野仙一 「燃える男」から「闘将」へ人々を惹きつけた男の5つの要素

指導者学

星野仙一は大学時代、東京六大学野球のスター選手として明治大学野球部のエースであった
1968年のドラフト会議中日に1位指名を受け「燃える男」として「ケンカ野球」を実践した
引退後はNHK解説者を経て、中日、阪神、楽天で述べ17年間監督を務めた
2008年には北京五輪の日本代表監督にも就任した

 

星野野球の原点

星野仙一の原点は明治大学時代の島岡野球(明大野球部監督)にあった

島岡監督が実践していたのは「人間力野球」であった

状況変化に動じない精神力、遂行できる肉体、これらは毎日の自己研鑽を通じて可能になる

あれだけ練習したのだからなんとかなるだろうというスポ魂野球

巨人入団がかなわなかった星野はドラフト1位で中日に入団し「打倒巨人」で燃える男として活躍する

がしかし入団当時、中日の監督だった名将水原監督に「選手のコンディションの善し悪しは球威ではない、心の部分だ」と学んだ

また「グランドではヤンチャでもいい。

しかしユニホームを脱いでいるときは、一社会人としてきちんと生きていかねばならない」

社会人としての節度、謙虚な態度を教えられた

 

大胆な選手補強

星野は中日の監督就任した当初から、低迷したチームを上昇させるために、監督の権限を強化し、チームに選手獲得のお金を出させ、当時パリーグの三冠王だった落合に始まり、阪神の監督時代の金本、伊良部、楽天で松井稼頭央など大胆な補強を繰り返し、チームの戦力を整え改革した

その一方で多くの選手のリストラして退団させ、チーム内の新陳代謝を図った

こうしてチームの組織人事を積極的に行い、チームの変革を遂げていった

 

人脈の大きさ

星野は上司になって欲しい人のランキンングの常連になっている通り、人を惹きつける魅力を持っているのは間違いない

「仙一会」と自らの名のついた後援会は星野の地元に止まらす、全国区での後援者をもつ

また「爺殺し」と言われるくらいに水原、川上など球界の長老たちに可愛がられ、その人脈をいかんなく発揮し、後年の監督人生につなげていった

 

やる気にさせる

星野監督ははあらゆる手段を使って選手を奮い立たる「人間力野球」を実践した

ときに「鉄拳制裁」にも及んだ

人権掌握術に長け、選手をやる気にさせる能力を発揮し、リーグ優勝、日本一と結果を残していった

 

 

プロフェショナル

現役時代は感情むき出しで雄叫びをあげなら相手に向かっていくケンカ投球を実践し「燃える男」としてファンの前ではそのキャラクターを演じきった

また監督になってからも、戦う男のイメージは崩さないまま、ゲーム中の乱闘シーンでは先陣を切るなど「闘将」を演じ続けた

選手時代から監督で采配を振るうまで常に魅せる野球、演出にこだわ続け、見るものを楽しませた

 

 

江本孟紀「星野仙一に見る名将の条件」双葉社

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