為末大 スプリント種目で日本唯一の世界陸上メダリスト「侍ハードラー」

天才学

2001年エドモントン、2005年ヘルシンキ世界選手権で400メートル銅メダルを獲得し、日本人唯一のスプリント種目のメダリストとなる
中学、高校、大学、シニアの各世代で日本チャンピョンを獲得し、日本新記録を塗り替えた
400メートルハードル日本記録保持者

 

 

中学時代からの研究心・向上心が強かった

中学生の時には授業中に陸上専門誌や技術書を見ていた

人体の解剖図で筋肉、骨格の名前を覚えたり、トレーニング理論書を手垢で汚れるほど読み込んでいた

また自分のライバルにどうすれば勝てるかを考えていた

陸上専門誌の記録ページを見て、何処の県の学校の誰がどのくらいで走れるかを見るのが好きであった

この頃から研究・分析することが培われ、陸上の知識欲が強かった

早くも自分の出場する大会を決め、その計画に沿ってのトレーニングを実践していた

 

プロランナーの道へ

ガンの発見からわずか半年ばかりで54歳の若さで亡くなってゆく父の死に直面して、生きることの意味を考えさせられ、好きなことをして生きていこうと為末は決意した

大学を卒業して就職した大阪ガスでは、東大、京大卒の中ではトップにはなれないこと、また自分の居場所はここにはないと感じていたこともあり、退職してプロのランナーを目指した

当時陸上選手のプロランナーは少なく、新しいことへチャレンジすることを望みプロの道へ進んだ

独自練習法の開発

周りから見ると吐いて、ぶっ倒れて死に物狂いで練習している方が、頑張っている感じがする

しかし、本当に自分にあった練習法を模索し、結果が残せるトレーニングを見つけることを求めた

 

 

陸上競技の普及・広報活動

為末は陸上競技をもっとメジャー競技にしたく広報活動を行っていた

陸上競技の競技者人口を増やしたく考えていた

世界陸上でメダルを獲得した機会を狙い、自ら進んでメディアに出てゆき、ストリート陸上などイベントの企画も行った

 

 

自分で自分をコントロール

大学を選ぶ時も法政大学では練習を好きにやっていいと言われていたのが、選んだ理由であった

プロになってからも指導者にはつかず、自分でトレーニングを考え、自分でスケジューリングして陸上競技を行っていた

 

 

 

[参考文献]
為末大「ダイ・ストーリー」出版芸術者

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