立花龍司 野茂英雄、吉井理人ら超一流プロ野球選手を育てたトレーナー❶

トレーニング

立花龍司は中学時代に野球の日本代表に選ばれ渡米する
高校時代の自身の肩の怪我でプロ入りを断念し、日本で初めてのコンディショニングコーチを目指す
1989年近鉄バファローズに入団する
野茂英雄を始め超一流のプロ野球選手を育てる
1997年ニューヨーク・メッツで日本人初のメジャーリーグの正式コーチとなる

アメリカの野球

立花コーチは中学校時代に野球の全日本代表に選ばれ、渡米しアメリカの野球を見たときに、あまりにも日本の野球との違いにカルチャーショックを受けたのでした

アメリカでは少年野球からメジャーリーグまでみんな楽しん野球をしており、日本で子供のころ原っぱでやっているような楽しむ野球をしていたことに大変驚いたのでした

帰国後、進路に立たされたとき野球少年が抱く「プロ野球選手になりたい」という夢からいつしか「高校野球の監督になって、アメリカの子供たちのように楽しく野球ができる環境を作りたい」という思いに変わっていたのでした

 

まずは楽しむこと

幼少期にはたくさんのスポーツを楽しみ、体の多くの神経に刺激をあたえることが大事なのです

同じスポーツばかりやっていると偏って神経が発達をします

まずは大きな土台、器を作るために親は子供達に機会を与えることが必要なのです

その中から、どれが好きなのかを子供に選ばせてあげ、決してこれをやれとは強要をしないこと

高校1・2年生まではどれだけそのスポーツを好きになれるかが、その後の成果にも繋がるのです

人を支え、人に支えられる

立花コーチは自分が肩を痛め野球がで気なくなった絶望を経験したことで、もう同じ思いを他の選手にさせたくないと思いコンディショニングコーチを志しました

そして多くの故障者を救い、また本気で多くの選手を指導していくことで多くの選手を支えてきました

それが今度は、折あるごとに逆に立花コーチが苦境に立たされた時に、支えられた選手たちが今度は立花コーチの存在を広めてくれたり、手助けしてくれたりと逆に支えてくれることとなったのです

 

 

日本の野球を変えたい

長い間日本の野球界には「野球のボールより重いものを持たない」という考えがあり、ウェイトトレーニングの必要性を否定しているところがありました

立花が近鉄バファローズと契約した当初、日本のプロ野球界はフィジカルトレーナーの存在自体が稀な状況で、トレーナーはマッサージをすることが主な仕事なのでした

そんな中メジャーリーグの成功を知っていた立花は少しずつウェイトトレーニングの重要性を浸透させていきました

それはまず選手との信頼関係を築いてから進めてゆく地道な作業からのスタートでした

いつか日本の野球をメジャーリーグのように魅力あるものにし、世界のトップに立たせることを立花コーチは夢に抱いているのでした

人の心を動かすのは心です

科学的なトレーニングも、優れた技術も、まず意思がなければなんの役にも立ちません

子供たちや、選手の心を動かすのがコーチの役割なのです

選手に高いモチベーションを持たせることがコーチの役割であると、立花コーチはそのきっかけを作って行きます

 

 

 

 

[参考文献]
立花龍司「メジャー初コーチの『ポジティブ・コーチング』」講談社
立花龍司「個性を引き出すスポーツトレーニンング」岩波アクティブ新書

 

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