モハメド・アリ 至上最もシンボリックな世界チャンピョン❶

天才学

モハメド・アリ(カシアス・マーセラス・クレイ)は1960年ローマ五輪のボクシング金メダリストとなる
その後プロに転向し、3度世界ヘビー級チャンピョンを獲得し、数々の名勝負を残している
人種差別、徴兵制度、世界平和に貢献しており、シンボリックな世界チャンピョンで、アトランタ五輪の最終聖火ランナーに選ばれた

アリの生い立ち

モハメド・アリはケンタッキー州ルイビルの黒人の中流家庭に生まれ、当時としては恵まれた環境に育った

人種差別が当たり前の街ルイビルで育ったアリであったが、アリがのちに対戦した当時のボクサーのような人種差別を受けていた黒人でさらに「下層階級」に属するような境遇とは明らかに違っていた

アリの一家は小さな庭がついた箱型の一戸建てに住み、物質的に豊かさとは無縁だったとはいえ、生活必需品には事欠くこともなく、食事の心配をすることなく成長した

 

3度の飯よりトレーニングとボクシングが好き

アリはプロ転向後トレーナー探しに奔走していた

アンジェロ・ダンディーに白羽の矢が立ち、彼のジムであるマイアミでトレーニンングが始まった頃、アリが宿泊していたホテルはスラム街にあった

当時の公民権運動とかがなかった頃のマイアミは、保守的で典型的な南部の特徴をもつバリバリのディープサウス(人種差別の激しい街)であった

そこはポン引き、娼婦、博打打ち、アルコールに溺れる者たちであふれかえっていたが、アリは様々な誘いを受けたがそれを跳ね除け、毎朝5時のランニングから始まるトレーニングに没頭するようなストイックな生活を送っていた

「不平不満を一切言わず、3度の飯よりトレーニングとボクシングが好きな奴」とトレーナーに言わしめるほどだった

 

初めての世界戦での精神戦での撹乱

もともと「ホラ吹きクレイ」と言われるくらいアリは大口を叩くことは周知の事実だった

アリは試合前になると自慢話や、相手に対するニックネーム、侮辱を繰り返し言って罵って、相手の平常心を蝕んでいた

アリは試合中でさえ、対戦相手に語りかけ、怒り狂わせ、力ませることで、精神的に追い込んでいき、相手は2倍の消耗を余儀なくされた

また洞察力に優れ、自分の知識を利用し、人を操ることに関しては天才的であった

 

モハメド・アリの改名の真相

当時のアメリカの人種差別について、故郷のルイビルでは当たり前のように受けていた

アメリカの黒人の名前は、奴隷時代に白人によって勝手につけられた名前で、先祖とはなんら関係がない

いや、黒人の先祖たちの生きてきた歴史を積極的に葬ろうとする名前だった

アリのひい爺さんを所有したケンタッキーの白人、カシアス・マーセラス・クレイが、自分の名前をひい爺さんにつけた

そして爺さんもその名前がつけられ、父さんにもこの名前がつけられ、今度はアリ自身の名前になった

世界チャンピョン獲得と同時に改宗し、名前をカシアス・マーセラス・クレイからモハメド・アリに改名した

 

 

ベトコンに恨みはない

1965年ベトナム戦争が始まり、67年にはアリにも徴兵令が届いた

「ベトコンに恨みはない」という名言を残してアリは徴兵を拒否すした

世界チャンピョンでいながらもベトナム戦争の兵役を忌避していたため国外での防衛戦を続けることを余儀なくされていた

アリは黒人イスラム教徒の英雄であった

良心的な徴兵忌避者という立場で合衆国政府と戦っていたが、投獄の危機に瀕していた

 

 

 

[参考文献]
デイビット・レムニック/佐々木純子訳「モハメド・アリその闘いのすべて」TBSブリタニカ
スティーブン・ブラント/三室毅彦「対角線上のモハメド・アリ」MCプレス

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