モハメド・アリ(カシアス・マーセラス・クレイ)は1960年ローマ五輪のボクシング金メダリストとなる
その後プロに転向し、3度世界ヘビー級チャンピョンを獲得し、数々の名勝負を残している
人種差別、徴兵制度、世界平和に貢献しており、シンボリックな世界チャンピョンで、アトランタ五輪の最終聖火ランナーに選ばれた
アリは時代と戦う
「公然と権威に抵抗する勇気あふれる人物」
「自由な立場でアメリカの白人社会と対峙する初めての黒人チャンピョン」
と評され「正真正銘の革命家」とアリは讃えられた
アリは善良な黒人として生きることを望んだ
独善的な白人資本家から褒美を与えられるのをじっと待っているようなキリスト教徒になることに抵抗したのであった
多くの黒人たちが抱いていた感情、つまり怒りとか権利意識とか、並みの暮らしができるようになりたいという願望、そして理不尽な仕打ちに対して立ち向かう勇気が、アリの行動に集約されていた
アリは人種差別、公民権運動、ブラック・モスレム、イスラム教、マフィア、ジャーナリズムなど壮大なるアメリカ現代史での、世界ヘビー級チャンピョン以上のチャンピョンで、全世界的なシンボルとなっていった
日本で言うところの「巨人、大鵬、卵焼き」と激動の時代背景の中、その象徴する傑出した人物であった
アリの時代のボクサー
アリは対戦相手にアリと対戦したことによって、その後の人生に大きな影響を与えた
アリと対戦することによって突如、名を上げてしまうボクサーもいたほどであった
アリをノックダウンさせたイギリスのヘンリー・クーパーはその後何十年もそのシーンが再生され、後年には王室から爵位まで授かったのであった
だが当時のボクサーは現役引退後に廃人になってゆくボクサーは後を絶たなかった
パーキンソン病
アリはボクシングの現役引退後42歳でパーキンソン病と診断され、それは神経系が冒され、全身の筋肉が硬直し、ぼんやりと無表情になる病気だった
身体の運動機能が衰え、口を聞くことさえままならなくなる場合もある
パーキンソン病の進行は患者によって異なるが、幻覚や悪夢にうなされる患者もいる
病気が進行すると、物を飲み込むことさえ大きな苦痛をともなう
アトランタ五輪の最終聖火ランナー
パーキンソン病を患っていたアリがアトランタ五輪の最終聖火ランナーとして選ばれた
もし、名の知られた有名人が何らかの病気に苦しんでいるとしたら、家でひっそりと隠れ、人前に出てこない
「こんな姿を人前にはさらしたくない」と言うのが常人の考えるところ
それなのにアリは開会式の聖火台でその手を震わせながらも点火した
恥じることなく聖火台に立つことで、モハメド・アリは世界のためにとても多くのことを成し遂げた
「私はザ・グレーテストだ、そしてまだ生きている」と言い切った
世界のシンボル
アリは数多くの人々に様々なことを想い起こさせる偶像となり、神話の人となった
彼は信仰のシンボルと同時に信念と抵抗、美と卓越した技術と勇気、人種への誇り、そしてウィットと愛のシンボルになった
地球上で最強の人間であることを生業としていた男の、見る影もなく変わり果てた姿に直面し、無常を感じずにはいられない
そん後パーキンソン病の闘病生活が続き、2016年6月3日74歳で死去した
その名は、2019年11月7日に井上尚弥が勝利したワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)の冠名に「モハメド・アリ杯」と刻まれているほどの傑出した人物であった
[参考文献]
デイビット・レムニック/佐々木純子訳「モハメド・アリその闘いのすべて」TBSブリタニカ
スティーブン・ブラント/三室毅彦「対角線上のモハメド・アリ」MCプレス
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