中田英寿 各世代の日本代表、日本人初ビッグクラブ入りしたの秘密5選

天才学

中田英寿は中学2年時にU15の日本代表に選ばれて以来、浮き沈みの激しい中・高校時代の各世代で日本代表から一度も漏れずにフル代表まで選出された
Jリーグのベルマーレ平塚をへてセリエAのペルージャからローマ、パルマなど世界のビッグクラブを渡り歩いた
日本代表の中心選手として3度のワールドカップを経験した

 

幼少期から自分でものを考えるたぐいまれなクールな頭脳明晰さ

小学校の時、自分が足のどの指を使ってボールを蹴ると、どんな軌道になるか話していたという、常識では考えずらい、自分でものを考える力をそなえていた

韮崎高校時代には、高校の監督と対等にサッカーの持論を展開し、練習について、選手の起用について話していたほど、すでに卓越したレベルでサーカーに取り組んでいた

自分自身のことをサッカーを始めた8歳から上手いと思ったことはないといい、試合後の反省会では
ミスを考えるヒマがあったら次を考えるなど独善的ではあるが、そこには覚悟と責任があるがゆえの自由で、誤解を恐れない発言をコメントしていた

初めて世界のトップレベルに到達したNAKATA

セリエAのペルージャに入団したデビュー戦、でユベントス相手に2ゴールをあげ、度胆を抜く活躍を見せた

 

サッカー以外の活動

中田は常に社会とリンクし既成概念の改革者でありたいと思っていた

また自分から情報を発信し、ファンと直接コミュニケーションが取れるパーソナルメディアnakata.netを98年に開設した

W杯日韓大会が開催されるときには情報と親切なもてなしを提供したいとも考えていた

日本経済の活性化に自分のアイディアを活かしたいとサッカー以外での偉才ぶりを、すでに現役中に発揮していた

 

日本人はメンタルがダメ

中田自身の経験から、海外では練習から相手を削るくらいの気概で練習に取り組んでおり、練習中は常に本気で、喧嘩も頻繁に起こると語っていた

それに比べ日本人は練習のための練習をしており、何のための練習なのかを考えず、常に試合への意識が足らないといっている

海外では常に本番を意識しているから、本番で持っているものを出せるのだと

 

 

本田圭佑に進言した中田フィロソフィー

結果が出ない時もワガママを押し通す

周りに合わせない

己を貫き通す

どんだけヒールになろうと

お前最悪か、お前最高のどちらかの評価でいい

中途半端に終わるなと伝えた

 

 

 

 

[参考文献]
小松成美「中田英寿  誇り」東邦出版
中田英寿取材班/編 「中田英寿軌跡1977-2004」鹿砦社

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