羽生結弦 2大会連続金メダリスト どうしてあんなにも強く美しいのかそのわけ5選

天才学

日本人男子初となる世界ジュニア選手権を中学3年生で優勝
シニアデビュー2年後には世界選手権銅メダルをこれも日本人最年少で獲得
その後ソチオリンピック、平昌オリンピックの2大会連覇の偉業を達成する
そんな羽生の秘密に迫ってみました

嫌いでしょうがなかった練習が、大事なんだなあって思い始めた

2004年小学校4年生の時に全日本ノービスBで優勝

その後同年12月にホームリンク(仙台市のコナミスポーツリンク泉)が閉鎖されっため練習場所を求め他のリンクに通うことになるが、練習時間がそれまでにくらべ一気に少なくなる

2005年全日本ノービスB2位、2006年全日本ノービスA3位とライバルの日野龍樹、田中刑事の後塵を拝していた羽生が最も苦しんだ時期になる

この時期に「嫌いでしょうがなかった練習が、大事なんだなあって思い始めた」のである

2007年3月、2年3ヶ月ぶりにホームリンクが再開され、羽生は練習環境が以前のように戻り
全日本ノービス優勝する

早く日本に帰って、今すぐ練習します!

高校1年生でシニアデビューを果たしグランプリシリーズ初参戦のNHK杯では4位となった

つづく第2戦のロシア杯で7位に沈んでしまった
本人はおそらく第1戦の4位から上を見て結果を求めていたため、この7位という結果に憤慨しての以下のインタビューでの発言となった
(2010年11月、ロシア杯後のインタビューより)
「もーう、悔しい。悔しい!練習したい!スケーティングをしたい!ジャンプを跳びたい!フリーを死ぬほど滑りたい!もう僕、エキシビジョンは見なくていいです。早く日本に帰って、今すぐ練習します!」

他に類を見ない、この負けず嫌いさ加減が羽生の全ての原動力になり、圧倒的な結果をこの後生んでいることは想像に難くありません

 

本当に調子がいいときは、360度、視界がすべて見えるんです

普段から僕は『イメージする』ことを大事にしていて、ジャンプを跳ぶ時もけっこうイメージトレーニングを重視しています
調子がいい時には、自分が跳ぶ瞬間のフォームが、跳びながら3Dで見えるんですよ
『あ、今、ここが曲がってたから、ちょっと直そう』って自分でわかる
本当に調子がいいときは、360度、視界がすべて見えるんです

競技上の性質もあるかもしれませんが、この普通にコメントに出てきている『イメージする』ことの能力の高さは、常人では計り知れない能力で、羽生の愚直な鍛錬の賜物だと考えます

 

もうこれは、自分自身との闘い

東日本大震災が起こったとき羽生は宮城のホームリンクにいた
ホームリンクは半壊の状況となり、その後は避難所生活を強いられた

震災10日後、恩師のいる東神奈川へ、そしてオフシーズンは60公演のアイスショーを送ることで練習場の確保をする生活を送る

……もうここまで来ると、ライバルとか、地震とか、練習環境とか、何かに負ける、負けない、そんな問題じゃなくなって来ちゃったなって思うんです
もうこれは、自分自身との闘い
自分で目標を掲げて、それに向かって突き進んで行かなきゃいけないんだって

この震災、その後の目まぐるしい経験が羽生自身の尋常ではないメンタル、のちの目ざましい躍進、オリンピック2大会連覇へと結びついていくことになったのでしょう

 

 

絶対王者だと自分自身に言い聞かせて来ました

「僕が勝つ」闘争心の塊みたいに羽生が言い続ける様は異質だ

「絶対王者だと自分自身に言い聞かせて来ました」とは世界最高得点を初めて更新した日のこと

しかしその陰には尋常ではない愚直な努力だかくされていたのだ

オリンピック前のシーズンから拠点をカナダのトロントに移したのであるが、そこでの生活は文字通り「スケート一色」で観光も、映画も一度も行かないストイックなスケートのみに特化した生活を送っていたのである

だからこそ強気な発言を続けられ、ソチ五輪での最高の栄冠を手にしたのだ

 

 

(参照:羽生結弦「蒼い炎」扶桑社)
(参照:宇都宮直子「羽生結弦が生まれるまで」集英社)

コメント