キングカズ 三浦知良 日本サッカー界のレジェンドまでの道のり

天才学

静岡学園高校1年途中からブラジルへサッカー留学
’86年にサントスFCとプロ契約
’90年に帰国して
’93年Jリーグ元年ヴェルディ川崎を優勝に導きMVP獲得、国民的スターとなる

 

少年時代にサッカー漬けの日々

父は日本初のサッカー専門店「GOAL」という店を開いた

父が立ち上げ叔父の義郎が監督をする城内FCで三浦兄弟は「勉強はしないけどサッカーはした」というくらい少年時代にサッカー漬けの日々を送る

静岡では納屋兄弟(三浦兄弟、両親の離婚のため名字が変わる)は有名であった

 

僕はブラジルでプロになる

父はカズのブラジル留学希望をかなえるために、カズより先に何のツテもなくに単身ブラジルに渡り、当時前例のないサッカー留学の機会をあたえた

のちに父は東海大一高にアデミール・サントスをブラジルから日本へ送り込むことなど、ブラジルと日本を繋ぐサッカービジネスを確立した

高校1年の11月に静岡学園の井田先生に「僕はブラジルでプロになる」と伝えると
「99%不可能だ。そんな甘い世界ではないんだ」と即答された、そんな時代であった

 

サッカー大国ブラジルでも刺激を与えた練習量

カズが20歳くらいの頃、ブラジルのサントスで1人残って練習をしている姿は、ブラジルでは練習の鬼ドゥンガ(’90、’94、’98W杯出場)より練習する選手だと評判になっていた

あまりにも熱心に練習をする姿が、ブラジルの他の選手にも刺激をあたくらいであった

日本へ帰ってからも、誰よりも早くグランドに現れ、誰よりも後にグランドを去る練習に対する姿勢、プロフェッショナル意識は周りのものを感化し続け、日本サッカー界に貢献してきた

野球がビールかけをするなら、サッカーはシャンパン

日本のサッカー選手のステータスは、南米やヨーロッパに比べてまだまだ低い

それを僕たちはこれから自分たちの手で上げていかなきゃいけない

そのためには無理をしてでもポルシェに乗り、アルマーニのスーツでビシッと決めて、ボルサリーノをかぶって、週1回は派手に呑みに行く

そうやって派手な格好をして注目を集めて『プロサッカー選手は違うんだ』ということを、知ってもらわなければいけないんだ

野球がビールかけをするなら、サッカーはシャンパンをかけなきゃダメなんだ!

 

日ごろから謙虚でなければ、『運』さえ向いてこない

何が成功と失敗を分けるのか

もちろん『運』は大事なんだけど、いざその運が向いてきたとき、ターニングポイントになったときだけ、頑張ろうと思っても出来ないんだ

サッカーに対して日ごろから謙虚でなければ、『運』さえ向いてこない

 

成り上がろう、ビックになってやろう

カズの成功は「良いところで良いタイミングで良い人に出会う」ことが出来たことだと本人は語っている

そのおかげで選手として伸びなきゃいけない時に、確実に伸びたと

またプロサッカーの原点はブラジルで、食べるものから移動手段までプロとアマの生活の違いをまざまざと感じられ、なんでプロにならなきゃいけないのかというのがわかったという

成り上がろう、ビックになってやろうみたいな気持ちが自然と湧き出てきたのだと…

 

 

 

 

[参考文献]
三浦泰年「三浦兄弟 僕とカズサッカー少年漂流記」集英社
三浦知良「Dear KAZU ディア・カズ 僕を育てた55通の手紙」文藝春秋

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