鈴木大地 ソウル五輪金メダルからスポーツ庁長官になった5つの秘密

天才学

1988年ソウル五輪100m背泳ぎ金メダルを獲得し16年ぶりに日本競泳界に金メダルをもたらす
「黄金の足を持つ」と言われたバサロキックのパイオニア
しかし金メダル獲得後競技力が上がらず挫折し引退してゆくが、その失意をバネに躍進して2013年日本水泳連盟会長、2015年スポーツ庁長官と飛躍を遂げた秘密に迫ります

 

常識を疑い挑戦して得た金メダル

ソウル五輪で100m背泳ぎでライバルに勝つために通常バサロキック(潜水蹴り)を21回で25メートル泳いでいたものを、バサロキックを27回に増やし、距離を30mに増やす計画を立て挑戦をして、見事に16年ぶりの金メダルを日本競泳界にもたらした

鈴木の勝因は常識を疑い、新しい挑戦をしたことでオリンピック金メダル獲得し世界一の座を得たのである

自分から考えて練習する

日本オリンピック委員会からの派遣で、’98年ハーバード大学水泳部へゲストコーチとして招聘(しょうへい)されて海外生活を送るが、ハーバードでは前もって例題を出し、学生たちに考えさせ議論をする、いわゆるソクラテス式問答法が授業でされていた

講義を聞くだけなら大して予習もしなくてよいが、自分が発言する、よい成績を取ろうと思うと自分から積極的に勉強して自分で理論立てて発言することが必要とされていたのである

ハーバードの水泳部でも講義と同様ソクラテスメッソッドは実践されていた

日本のスポーツも「他人からやらされる練習」から「自分から考えて練習する」必要があるとその時に感じたのである

 

スペシャリスト、ジェネラリストの両方を合わせもつ

「スペシャリストか、ジェネラリストか」多くの人が進路を決めていく上で悩まれる問題であるが、鈴木大地は自分が水泳のスペシャリストだということにおごらずに、多くを吸収しようと競技後の人生で努力して行った

水泳馬鹿になってはいけないと色々な分野の人たちと会い、講演を聞き、他のスポーツを見て回った

そしてよいスペシャリストは、よいジェネラリストの素養を持っていなければいけないことを悟り、さらに精進を重ねて行ったのである

 

熱烈なチャレンジ精神

鈴木大地は現役の最後を競技力が上がらず、失意を引きずりながら挫折し引退してゆくのであるが、その挫折をバネに躍進して、現在はスポーツ庁長官という国の重要な要人という地位を得ている

あらゆる場面で人に推されポスト、タスクを与えられても、それをどんどんこなしてゆく推進力があり、スマートに見える人間力の中に潜む、鈴木の熱烈なチャレンジ精神が脈々といきずいている

「本当の天才とは、ただ努力の継続ができる人」

アメリカの教育家エルバート・ハバートの言葉を水泳の競技人生ではまっとうできなかった挫折をバネに、その後の人生では大いに体現している天才なのである

 

 

天才アスリートにとどまらない天才的人間性

アメリカから帰国して順天堂大学水泳部の監督に就任し、アメリカで勉強したコーチンング等を取り入れながら指導に情熱を注いだ

指導している中で「飴と鞭」を使い分け、選手も大いに褒めることもしたが、ただ「鞭」という部分では、うまく泳げない、タイムが出ない、練習に身が入らない、一生懸命泳がないというようなことでは怒らなかった

挨拶をきちんとしない、プールの掃除を怠る、ビート板などの用品の整理整頓をしないと激しく怒った

ここに鈴木大地の天才的人間力の素養が見られる気がするのである

「水泳選手である前に、まず正しき人間であれ!」

これが鈴木大地が五輪金メダリストから日本オリンピアンズ会長、最年少で日本水泳連盟会長、そしてスポーツ庁長官へと歴任したと天才アスリートだけにとどまらず、実社会に解き放たれてから成功してゆく謎が秘められているのである

 

 

 

[参考文献]
鈴木大地「僕がトップになれたのはいつも人と違うことを考えていたから」マガジンハウス

 

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